今朝はなぜかふっと、未来の自分が「現在の自分」を振り返る、という感覚にとらわれました。
現在の私は両親が共に健在で、主人もいてくれて、今のマンションに暮らし、あんのんで仕事をすることができ、生活が成り立っている、なんとありがたいことか!という気づきがあったのです。
年齢順とは限りませんが、いつか両親は亡くなります。
これ以上ないほど大切に育ててくれた存在を失う恐怖は想像もつきません。
また、決して若くない私と結婚し、生活を共にしてくれている主人も永久ではありません。
もちろんエミやお福、そして私自身も限りある命。
今の部屋は決して豪華ではありませんが、これまで住んできた中で最も気に入っていますが、借り物です。
人も猫たちも物も環境も抱きしめたいほど大切なのですが、普段それをあまり意識していません。
何一つ永久のもののない、いわば幻の中で私はのほほ~んと生きているわけですね。
これまでの人生を考えると、私がこんなに穏やかな日々を送ることができているとは奇跡のようです。
恐らくすべきことは、これらに執着するのではなく、今に感謝しておかなくてはならない、ということであり、一つ一つのことを一所懸命にしなくてはならないと気づいたのでした。
「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んず可からず 未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉已に秋声」
(少年は老い易く、学問は成就しがたい。だから寸暇を軽んずることなく、わずかな時間も惜しんで勉学に励まなければならない。(池塘)池のほとりの春草が萌え、草花が咲き、春の夢がまだ覚めきらないうちに(階前)階段の前、軒先の(梧葉)青桐の葉が、もう秋風に冬の訪れを告げている。月日の経つのはまったく夢のようだ・・・後悔しないように学問にはげみ、知識を広めなければならない。)
夏のご挨拶にいただいた扇子の朱熹の言葉がピッタリです。