皆さんは3,11の日のこと、覚えていらっしゃいますか?
そのころの私の職場は新橋、主人は築地でした。
一所懸命指圧をしていたら、隣のベッドで施術している同僚とカーテンの間からふと目が合いました。
何か口パクで私に伝えようとしていたのはわかるのですが、何を言っているのかわからず、
「え?何?」
と小声で言っていたら、揺れが激しくなり、彼女が「じ・し・ん、地震!」と言っていたことがやっとわかりました。
仕事は中止で帰宅となり、帰りが同じ方向の彼女と歩いて築地に向かううちに主人とも電話が通じ、幸運なことに彼女のご主人が車で迎えに来て下さり、夕方には帰宅することができました。(このとき、勝鬨橋を渡る際に、隅田川が逆流してたのを見たという話を聞きました)
さて、当時我が家の留守番はまだエミ一匹でした。
ドアを開けるや否や「エミ!」と叫びましたが、見当たりません。
いくつか物が落ちて割れたり、引出しが開いたままになっていました。
奥の部屋では50㎝ほどの半月型の鏡がいつもタンスの上にあったのですが、地震で前に倒れこみ、一番上の引出しが揺れで開いていて、そこにすっぽりとハマっていました。(写真左は再現です)
もし引き出しが開かなければ鏡は落ちて、間違いなく割れて足の踏み場に困ったはず。すごいミラクル!!
「で、エミはどこ?エミ!エミ!」
「ニャ~」
「鳴いてる!どこ?エミ?」
何と揺れでサッシが半分くらい開いていて、エミはベランダの隅に小さくなって座り込んでいました。
「ニャー、ニャー、ニャー!」(遅かったじゃないの!怖かったんだから、も~)
抱っこすると、身を固くして珍しく鳴きまくっていました。
怖かったね~、寂しかったね~、無事でよかったね~。
それからガスが使えないため、二日間銭湯に通いました。
スーパーやコンビニでは品物が売れまくり、飲み物、食料、電池、カセットコンロ用のガスボンベなど欠品続出。
思い出すと今でも緊張感が走ります。
まだこれから、同じことが起きないとは限りません。
食料備蓄、避難用品、家具の補強、何よりも覚悟、を忘れないようにしようと思っています。