かなり昔に読んだうろ覚えの記事です。あるベトナム人の女性が戦争で家族(もしくは自分の体の一部)を失いました。そのことで大変な苦労をしました。キリスト教徒として「許しが大切である」と教わりますが、何しろアメリカを許すことが最も難しかった、と語っていた・・・確かそんな内容でした。でも彼女は「許した」のだ、ということに驚き感動しました。世の中にはもっと小さなことを「許さない」といういさかい話はいくらでもあるのに、努力で大きな悲しみをクリアしたのが凄いなあ!と思ったのです。しかもその後、彼女はアメリカのために働いている、ということでした。私は「許すことで実は彼女自身が救われたのではないか」と何となく感じました。「情けは人のためならず」のように情けも恨みも巡り巡って自分に返るような気がするからです。以来、私も何かあったら「許す」努力をしようと決めました。日常でそんなに腹の立つことはあまり起こりませんが、先日知らない人に突然小突かれ理不尽なことを言われた時、ちょっとショックでした。腹が立つというより、瞬間的に自分の心が傷つかないようにバリアしたつもりでしたが、ショックがパソコンのデリートのようにサッとは消せず、相手の状況を妄想して必死に理解しようとしました。おかげさまで次の日には忘れていました。しかし私は小心者、想定外の出来事に弱いんだなあ、と気づきました。知らないうちに「許されている」ことも多くあると思うと「許す」ための努力はこれからもしていこうと思います。